up1【倭原点】『士魂商才』について


 

書籍「渋澤栄一の士魂商才」

渋澤栄一の「士魂商才」

Eitokiです。

私の長らくの恩人の新しい書籍の題名が「士魂商才」とのことで、どういう意味なのか?ちょこっと調べてみました。

下記はあくまでメモ書きです。

-以下引用-

これ四文字熟語として紹介されてます。

(しこんしょうさい)
意 味: 武士の精神と商人の才能を兼ね備えていること。実業家のモラルとして言われる語。
解 説: もともとの言葉は「和魂洋才」という四字熟語で、「武士の精神と商人の知恵」という意味の造語。
用 例: わが社には、初代社長から伝わる創業の精神として「士魂商才」という言葉がある。

-引用終わり-

書籍「渋沢栄一 人生意気に感ず “士魂商才”を貫いた明治経済界の巨人」

渋沢栄一 人生意気に感ず “士魂商才”を貫いた明治経済界の巨人

こんな逸話が紹介されてました。

-以下引用-

いま,企業モラルの低下が懸念され,CSR(企業の社会的責任)と,企業倫理が改めて問われている。

企業の使命は,事業の遂行を通して公利公益を図り,社会に貢献することにあるといわれている。

企業が社会の一員であり,その中で存在し事業を行っていく以上これは当然のことといえます。

自社の利益ばかりを優先させて経営すれば,社会の糾弾を受け行き詰まる。
といって,自社の利益を全く無視した事業の展開は,現実的ではない。

「士魂商才」という言葉がある。
原(もと)の言葉は「和魂洋才」という言葉で,「武士の精神と商人の知恵」という意味の造語だという。

百貨店『三越』の創業者『日比翁助』は士族の出身であり、「武士の魂をもって世に還元する商店」をめざした。
日比が拠り所としたのは「“利”より”義”を重んずる武士の魂」で「才知ある商売」を行う「士魂商才」の思想。

日比はまず,商業倫理が乱れた業界に,「義」という武士的倫理観を持ち込み,客のための商売,という商道徳の再構築をはかる。
さらに西洋の一流の百貨を手本に,呉服店をデパートに転換。



-引用終わり-

もっと詳しく、書いてあるサイトも有りました。
なかなか耳が痛い言葉が並んでますなあ。(笑)
=「理想のビジネスの結果」とも言えますね。

書籍「士魂商才―未来を創る絆プロジェクト by くわたまさなり」

くわたまさなり:士魂商才―未来を創る絆プロジェクト:本当になかなかいい内容ですよ(笑)

-以下引用(長文注意(笑))-

●連日連夜、鍛練できるとは、どういうことか

世に「士魂商才(しこん‐しょうさい)」と云う言葉がある。

これが一般的には、「武士の精神」と「商人の才」とを兼備することを指しているようだが、それだけではなく、実は武士あるいは武芸者などの武人は、自らの“腕が立つ”という事は、同時に“理財の才”もあり、最低限度の「困らない日常」を過ごしていけるという、“日常生活の経済面にも強かった側面”を云い顕わした言葉なのだ。

つまり、自分の生活が、まず金銭に困らないように確保できていて、その経済観念で、自らの修行も同時にやって行くと言う心構えだ。
したがって、武術の腕に覚えがあり、腕力には自信があるが、生活能力が“さっぱりだ”というのでは、全くお話にならないのである。

「武技が強い」ということは、理財の才にも長(た)けていて、困らずに、悠々(ゆうゆう)と生活出来ると云うことを明確にしなければならない。

近代にも、そうした武人は多く居た。
自らは修行者として修行に明け暮れる日々を送っていても、その修行が出来る充分な背景を作り上げ、同時に「悠々自適(ゆうゆう‐じてき)に修行が出来る」という現実を作り出している、資産家的な武術家や武道家を見掛ける事がある。

こうした人達は、歳(とし)をとっても、それなりに生活に困らない程度に裕福で、かつ「理財の才」も「良識」もあり、例えば、アパート経営やマンション経営、貸ビルや貸土地などをレンタルさせて、毎月ほぼ同額の“家賃・地代収入”があり、あるいは“銀行の預金利息”だけで、生活出来る状態を確保している。
そして、自分が働かなくても生活が出来、日々、生活費に困らないとう状態が確保できているのである。
こうした困らない生活背景があるから、思う存分、修行に打ち込むことが出来る。
この確保こそ、急務であることを気付き、これに敏感な人を「理財の才」のある人と称したのである。
その意味で、「士魂商才」が成り立つのである。

この「士魂商才」の原点を作った兵法家は、かの有名な宮本武蔵だった。
武蔵は、単に剣に優れた兵法家としてだけではなく、詩や書画や茶道の“道”にも優れ、同時に「士魂商才」を身に付けた武人だった。
多くの人は、武蔵のこの点を見逃してしまうようだが、これこそ人間が生きていく上で、最も重要な事柄である。
武術家や武道家と称する人が、目先の、数日後に控(ひか)えた支払い日に追い捲(ま)くられるようでは、お話にならない。自分の道場の、道場経営に追い捲くられて、日々を、あくせくしていてはなにもならないのである。日々の生活に困らない“余裕”が必要である。

武蔵は確かにチャンバラは強かったが、決して「剣豪バカ」ではなかった。生活能力は“さっぱりだ”と云う兵法家ではなかった。
彼は、あらゆる「道」に通じていたのである。あらゆる「道」に通じていたからこそ、決して「バカの範疇(はんちゅう)」には留(とど)まらなかった。

あらゆる「道」に通じてこそ、その人は“達人”と云われたり、剣術家ならば“剣聖”などと云われるのであって、単に一芸に秀(ひい)でただけでは、「名人の位」に辿り着けないのである。“わが扶持”や“わが糊口”は、生涯困らないものを用意したいものである。

この境地に達することにより、兵法家とか、また武術家とか武道家と云う武人は、「名人の域」に辿り着く、スタートラインに立てるのである。

しかし士魂商才は、「日々あくせくしなくても働かずに食っていける」という基本こそ、本来の意味であり、道場経営がうまいとか、人集めがうまいと言う利権に於ての「うまさ」でなく、あくまでも「働かずに生活するに充分な金銭を身に付いている」という条件を満たしていなければならない。
つまり、「徳分が身に付いている」と云うことである。

武術で云う「徳分」とは、「武運長久」をいうのであって、その第一は「運がいいこと」であり、その第二は、あくせくして働かなくても、「金が自然に後から蹤(つ)いて来ること」を云う。

この状態に至れば、まず、あくせくしないから精神的衛生状態もよく、金に追い詰められることがない。
自然と心は大らかになり、静寂にして安住の状態が得られる。
第一、労働をしないのであるから、出勤時間にも追われることがなく、仕事にも追われず、締め切りにも追われることがなく、同時に「多忙を極めない」のである。

毎日忙しく仕事をしている人は、その人に幾ら才能や素質があっても、こうしたサラリーマン状態の会社漬けで、修行の究極点には辿り着けない。
遂に時間に追われ、仕事に追われ、締め切りに追われ、また金銭の支払いに追われる。それはサラリーマン故に、生活の基盤を「月賦支払い」などのローン生計が邪魔しているからである。

大ローンで家族にせがまれるままにマイホームを建て、また、大ローンで車を買う。
その他の高級家電品を買うなどして、『貸借対照表』では「負債の部」ばかりを膨らませているからである。

「負債の部」が膨らんで、“今は何とか払っていける”と言う状態では、決して「資産の部」は殖(ふ)える事がない。
要は、「負債の部」を皆無に近付け、「資産の部」を殖やすことだ。

「兵法」と云う、自分の“好きな道”に没頭するのであるから、その没頭出来るだけの、充分な生活資金を予(あらかじ)め何処かで確保し、毎月困らない程度の、余裕ある日常生活の確保が出来ていなければならない。
それは根本的に云って、資本主義市場経済に準ずる「道場経営」とは、全く違う。

道場経営と云うのは、それが経営である以上、道場主は、やはり“労働者の域”から抜け出すことができない。
経営に、あくせくしなければならない。
資金繰りに窮(きゅう)すれば、金策の為に奔走しなければならなくなる。
そうなれば稽古とか、修行とかは、論外の事になる。そんな暇がなくなる。支払いに追われるからだ。

したがって、サラリーマン指導者の場合も同じであって、普段はサラリーマンをしながら、会社漬けになっているのではお話にならない。

一週間の内の公休日や、その他の余暇で道場生を指導するとか、あるいは余暇を利用した自己修行であってはならないのである。

この自己錬磨の条件は、「自分は働かずに、好きなことだけをして食って行け、かつ充分に思う存分修行が出来る」と言う条件を満たしていなければならない。

サラリーマンをしながらとか、道場経営にあくせくしながら武道家を気取ると言うのは、修行において、本腰を入れて修行に打ち込むことが出来ず、常に「生活費」の事を念頭に置いての修行であるから、その修行は何処まで行っても、いつまで経っても、「本物」とはならない。金銭に悩まされるからだ。

そういう状態であっては、見栄は張ることが出来ても、中身は発展途上の状態に流されてしまう。
そして、決して「余暇」の範疇(はんちゅう)を抜け出すことはないのだ。
それでは「理財の才」があるとは言えない。自転車操業の経営者と何ら変わるところはない。

本当の修行者は、「好きな道に日々・連日連夜打ち込む」ことが出来なければならないのである。

その意味で、宮本武蔵は、真の修行者であり、毎日の生活費も事欠くことがなかった。その背景には何があったのか、それを検証しなければなるまい。

●優れた金銭感覚

要するに「士魂商才」とは、金銭感覚であり、経済感覚である。この感覚が敏感なことを云う。
理想と現実をシビアに見詰め、この現実の中に、伸び伸びとした「余裕のある自己」を確立しなければならない。

したがって、そもそもの「兵法家」というのは、サラリーマンで生活費を稼いでいても駄目であり、また道場経営で弟子の数を気にして、金銭勘定にあくせく頭を悩ませていても駄目なのである。

つまり、本来の士魂商才を確立する為には「労働をしない」ことであり、また、「働かず、日々の生活費にあくせくしない」ことである。

食う為の生活費や、家賃あるいは固定資産税などに悩まされることがなく、金銭的にも充分に余裕がなければならない。
こうした「修行構図」が完成して、はじめて自分の好きな「道」に、身を投じることが出来るのである。

しかし、この確保が出来なければ、「あくせく状態」に陥る。金銭に振り回される。
いつも毎月襲って来る「支払日」に苦しまなければならなくなる。
例えば、世間にはこうした道場主も、かなりいるようだ。

“とにかく無理をして道場を建てたが、毎月の返済金が大変だ”では、お話にならない。
大ローンを組んでの道場設立ならば、こんはものは、遂には息詰まるので、最初から遣(や)らない方がいい。
見栄の為の無駄な足掻(あ‐が)きだ。

かつて滋賀県で、ある空手道場の師範が、大ローンを組んで道場を建てた人が居た。
ところが最初の思惑とは随分違って、遂に返済金に息詰まり、小学生の児童を誘拐して身代金を取るなどの犯罪を犯した事件があった。
こうした支払いに息詰まる、結果が見えた道場経営に乗り出すのなら、最初からアマチュアで、サラリーマンをしながら、公共の施設の体育館や武道館を借りて、そこで地道に、自己修養と指導に励んだ方が賢明である。無理して見栄を張る必要はないのだ。

あるいは、公園などの空き地やトレッキングがてらの山稽古を利用して、タダでこれを拝借することも出来る。
そういう道を選ぶなどの方法は、幾らでもあっただろう。

しかし、滋賀県在住の空手道場の師範兼経営者は、恰好をつける為に、無理して大ローンを組み、扮飾決算をして、財政状態や経営成績を実際よりよく見せる為に、『貸借対照表』や『損益計算書』の数字を誤魔化して提出し、銀行から金を借りたのだろう。

こうした見切り発車が、数ヵ月後には大いに狂い出したのである。
思うほど、道場収入はなかったのである。
そして自分が『貸借対照表』や『損益計算書』の数字が読めない場合、当然誰かに依頼することになり、これらも墓穴を掘る要因になったと思料される。

その上、自分の財産を管理する能力もなく、その一大失態と云うべきことは、『貸借対照表』や『損益計算書』を、全く知らず、読みからすら勉強してなかったことである。
大ローンを組んで建てた道場が、自分の「資産の部」に入るのか、「負債の部」に入るのか、全く読めなかったわけである。
これこそ「士魂商才」の抜け落ちた、最たる事件であったと言えよう。

本来、武術や武道の達人と云うのは、商才にも長け、両者は“両輪の輪”の如く、同じように機能するのだ。

「武の道に秀で、しかもそれが強く、名人の域である」ということは、それと同じ位に「商売がうまい」と云うことであり、その「商売のうまさ」は、働かなくても食っていけるというものでならなければならず、確固たる金銭感覚を持っていることなのだ。

普通、経営者でも究極の経営の至る所は、最後は経営すら止めてしまって、働かずに食って行けて、その資産で充分に賄(まかな)える生活を楽しむことである。

日々をあくせくするような経営者であっては、その人が如何に大企業を経営していても、単なる労働者でしかない。

「道に秀で、強い」ということは、「商売にも明るく」また「理財の才もある」ということなのだ。

そしてこの能力は、更に進化すれば、「仕事をせずに食っていける“何か“”を手に入れていて、生活費に困らない」と言う条件を満たしていることだ。

つまり、士魂商才において、「食うに困らない程度の財を貯えた」と言う事なのである。

また自ら、武道家とか修行者などの言葉を自負していても、自分の“修行の場”が、公共施設の武道館と体育館、あるいは貸ビルの、朝から晩まで24時間使えない場所を、週に何回か使用する練習場を確保していたところで、これもまた、本物の自己鍛練をする道場を確保しているとは言えない。

借り物であっては、何もならないのである。
借り物でない、自分が生涯を通じて鍛練出来る、本当の意味での道場を、自力で確保しなければならないのである。

そう考えれば、金銭感覚とか、経済観念とかは、修行者として、最も敏感にならねばならない事柄である事に気付こう。

つまり、これこそが「士魂商才」なのだ。

武人の修行をすると云うことは、同時に、「働かなくても食っていける」という、「商才の極意」に到達しなければならないのである。
これは地代・家賃収入であったり、銀行預金の利息であったりするのだ。

-引用終わり-

続きやもっと詳しくは、
http://www.daitouryu.net/1250019051976/

 
 
皆さんの「ええ時」が「永遠の時」でありますように。
流れる川は凍らない。
人を繋ぐアイデアエンジニア
〜全ての世代に届くネットワークを〜
by Eitoki
でした。

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